バイクマフラー、1本からパイプ曲げ加工、チタンパイプ切り売りのアーマン
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2019年12月
やどかり日記:7
2019年12月31日


今日は午前中まで、大掃除の真似事で仕事納めしました

工場に溜まった埃やクモの巣をエアーガンで飛ばし

普段はかけない掃除機もかけて、工場内の空気が 

ちょこっとだけ綺麗になった気がします




今年も沢山のご依頼、お問い合わせを頂きありがとうございました!

ご依頼に添えない事も多かったのですが、今年も沢山の失敗をして

沢山の勉強をさせていただきました

行動しなければ失敗することも出来ないので、良しとします


掃除中、工場の大家さんから、大きな大根としっかり巻いた白菜を頂きました   

 今年最後のありがたい収入!!!




僕は家庭菜園で白菜作っても、葉っぱを巻くことが出来ません・・・


この日記を見て下さる、希少な方々。。。来年も宜しくお願い致します!


良いお年をお迎えください!!!
2019年12月28日
NUSARIのBEAT用触媒マフラー メタルスポーツ

徐々に売れております 今年5月発売から 5本。。。

ありがとうございます!


販促用に提供した物もありますが、トータルでは10本だけしか

市場に出回っておりません(試作品除く)

逆に考えたら希少価値かも~


そんなメタルスポーツに投入できるマニを遊びで作ったのは今年の初夏。

ほんの出来心と遊び心

開発担当A氏の 「等長になってる触媒前側のBEAT用マニが無いかも?」 発言。がきっかけ 



無いなら作ってみようと、試行錯誤、結局僕の曲げ技術ではあのスペースには収まらなくて、



仕方なく・・・ 手間や排気抵抗なんて全て無視! 31.8のパイプを輪切りにしてとにかく

等長だけを意識してマニを試作してみました!





そしたら、びっくり!  かなりの高性能!らしい。 遊びだったのに・・・


私、BEATの助手席には乗った事ありますが、運転した事ありません。。。

僕は車の事よく解らんから、ほんとにBEATを知り尽くして乗りこなしてる

NUSARIを体験した人の辛口意見だけで良し悪し判断してます

実際に自分でドライブして自分の感覚や好みが入ると、間違った方向に行くので
これからもそのスタンスを崩さず造り手に専念します


さて、性能良くって、量産/製品化をお願いされましたが・・・

商売度返しで、とことん等長だけを意識して試作したので、僕の技術不足もあるけど

手間と溶接歪と溶接クオリティーの低さが半端ない!





製品化を目指して、量産を前提に、3本量産試作で作ってみたら販売価格を8万以上にしないと

現状では商売としては成り立たない感じ。(材料代は少ないんですけどね)










レーシングマニやメタルソポーツ含めて

そんな高いマフラー誰が買うねん! と 


自分が製作/販売してるくせに、そう思ってしまいます







そして、値段よりもっと気に入らないのが、量産時に溶接歪との格闘で完全等長にはならない事!
(±0でなければ、嘘になってしまうと思うので、レーシングマニでも完全等長とは謳っておりません) 真面目か!

量産を前提にすると製作途中にどうしても不都合が出るので、±10mm程度の誤差が出る模様


量産するべきか悩んでます


今の所、NUSARI開発に協力頂いてる方々に試作品3本を開発価格でご購入頂いて、

開発担当のA氏は、更なる高みを目指してお預け状態という何とも忍びない状況です

2019年12月20日

与論島には映画館無くて・・・


TOP GUN をVHSで何度も観た中学生の頃・・・

 

ケニーロギンスのA面だけのドーナツ盤買ったな~



メグライアン 若かったな~



アイスマンはクールにカッコよかったな~




今、トムクルーズの映画見ても 自分はマーベリックの残像強しです 



今度は映画館で観たる! 今から楽しみです!





2019年12月18日
NUSARI メタルスポーツに内蔵されている 触媒は


外径63.5mm





この触媒を程よく圧入できるサイズの規格パイプが無くて


試作段階で頭を悩ませました。




そして、出した答えは、板から作ってしまえ~! でした


1個2個なら、高額でも外注依頼して板を巻いてもらうのですが、

量産となるとどうしてもコストが合いません



その程よいサイズのパイプを作る為だけに、金型をこしらえました。





うちにはシャーリングが無いので、取引先にシャーリングを借りて板を寸法通りに切った後。。。


第一段階。   Uの字に曲げる







第二段階。 ちょっと手で曲げて 上型と下型でプレス







1ショットでは丸くならないので、場所を変えながら何度か押す






大体丸くなりました。





第三段階。  溶接





第四段階。 溶接すると、歪な丸になるので、またまたプレスで何度か押す





第五段階。  圧入 (パイプ内の触媒位置も規定があるんですよ!)





第六段階。  排気で触媒が暴れない様に数か所溶接






第七段階。  溶接でまたまた歪むので、接触媒を壊さない程度に、再度プレス






触媒部分を作るだけでもこの工程数・・・


金型作って自社生産するより、外注で作ってもらった方が良かった様な・・・


ま~ こんな感じでメタルスポーツを作ってます


バフ待ち状態







以前、学校教育で円周率を3.14から3にした様な事言ってましたが


製造現場で円周率を3で計算したら全く使い物にならない物が出来上がりますね~



2019年12月11日

いかにも仕事してる風の写真撮れました



専門は曲げ屋さんなんですけど、その前に色々と作らないといけない治具があります
2019年12月05日
書いて良いのか迷いましたが・・・


あれから20年

この日は、いろんな意味で僕にとって忘れられない日となりました

その頃自分は、バイクのレースやっていて、1999年 鈴鹿地方選手権最終戦の日でした

レースを始めて8年間もの長い間、ず~っと国内ライセンス止まり・・・

1999年はSP250ってカテゴリーで鈴鹿地方選手権に参戦しておりました

当時、国内のMFJの2輪レースは、国際と国内の2種類ライセンスがありましたが

今はどうなってるか知らん。



万年ノービスなんて馬鹿にされながらも地道に気張りました!

80年代に揉まれた先輩方にかなり鍛えられました!


そんな自分が、その数年前からやっと予選通過できるようになり、気付けば徐々にポイント圏内で
(1位から15位までポイントあり、年間累積のポイント数で規定以上なら国際ライセンスに昇格権利)

走れるようになり国際ライセンス取得の権利が得られそうだったので、2000年シーズンから

国際ライセンスに昇格予定で、国内ライセンス最後のレースでした。


そんな最終戦。18歳からレースを始めたセンスのない僕を、ずーっと諦めずに面倒見てくれた


チームのオヤジ! Motostep監督が、 お前~

SP250最後のレースだからチームサポート枠で、このレースにタイヤ3セットをサポートしたる! 



と 何とも本当にありがたいお言葉!!!



こんな好待遇! 何かしら結果と爪痕を残さなければ~ と奮起しました




気温変化はあるものの、幸運にも3日間DRYコンディションで、練習走行から贅沢にも

新品タイヤ投入、路面温度と相談しながら1週目から猛プッシュして、1週目からベストに近い

タイムを刻む練習が出来ました 


予選は2列目ゲット!(#34)





僕にはバイクを速く走らせるセンスが無いのですが、所詮アマチュアレース。

当時の僕のライバル達は、1週ラップタイムは早いのにトータルのレースタイムを上げる為に重要な、

スタート~1週目が遅すぎる!


そこに着目していた自分は、練習/予選からタイヤサポートの威力を発揮して、2列目からスタートダッシュ




この後、人生初のホールショットを決めました(証拠写真がありませんけど・・・)




そんな舞い上がる状況でも、頭は冷静で、意図的にワイドオープンで一週目のS字一発目を切り返してみて、

タイヤが滑らないか? サスセットは? タイヤの温まり具合を確認 足回りも~いい感じ!


そのままの勢いでデグナー2発目をジャックナイフしながら進入。。。

バランス崩して、立ち上がり失敗!それでもTOPをキープ出来ていたし、立ち上がり失敗していて

速度落として抜かれたくない一心で、今まで一度もできなかった110Rアクセル全開進入チャレンジ!
(いつもは5分の1程一瞬アクセル戻して倒し込みのタイミング作ってました)

そしたら見事にフロントタイヤ切れ込んで、クラッシュ寸前(ガードレールが視界に入る)

それでも転倒せずに立て直しセーフ。。。 そこで集中力が途切れました・・・(短か!)



その後、恒例の驚異的なおい下げで順位を落としました





3週目ぐらいだったでしょうか・・・ ヘアピン立ち上がって200Rに差し掛かった時に、イエローフラッグとオイル旗。

路面には石灰を撒いた跡の白い筋と、外側には救急車と、うなだれるライダーの姿。


そんな光景を見ても自分はレース真っ最中、主催者の提示する旗とチームのピットサインを目安に

必死でゴールを目指し、無事チェッカーを受けました。





その時のレース後、チームメイトが泣きながら近寄って来て、Y君が死んだ。 ???



その時は冗談だと思いました。



根っからの平和主義の私、しかし、レースは別物、チーム関係以外の人とは出来るだけ距離を置き、

敬意を払いつつ、立ち話とバカ話程度で済ませて、よほど気が合う人以外、深くは仲良くしてませんでした

仲良くしてしまうと、レース中のバトルで隙がでるのが怖かった。



さっきまで、お隣さんのピットどうしで冗談交じりに金網越しに会話してたのに・・・


救急搬送された病院に行きました、面会しました、目を閉じたままでした。




両親が着の身着のまま病院に駆けつけ、病院の自動ドアが開きました


その時の光景が目に焼き付いてます





ライバルチームだったので、ほんの数か月前まで、Y君とはあまり親しくしてませんでしたが、

数か月前のレース後、MOTOSTEP恒例だった、怪我無く無事にレースを終えた感謝の宴(仮名) 

に参加してくれました


養老の滝から、2次回はカラオケ、3次回は、1K6畳一間の狭い僕のアパートに7、8人ほどがご来店

通称スナック市と呼ばれてました。



そこで初めて打ち解けレース以外の事も色々と話をしました  



1998年 1年前のレース後の写真  #44 僕   #19 Y君はそっぽ向いてますw
(1年前はそんな間柄)




数年間同じレースで何度も顔合わせているのに、まともに会話したのは ほんのわずか。。。



ピットで流れていたケミカルブラザーズ  Y君のお気に入り



人の運命は制御不能なのかな???


あれから20年 

忘れられない日でした。
2019年12月01日

自分は沖縄のお笑いも好きです


最近は、せやろがいおじさんにハマってますが


そのず~と前に、こんなおじさんのありがたい言葉ありました



今の高校生にも、難しい年頃の子を持つ大人にも見てもらいたい、オッサンの叫び

沖縄ってフレーズ部分を、自分の地元名に呼び変えてみたら面白い発見ありそうです
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