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2014年4月
やどかり日記:6
2014年04月27日
奈良の親切な社長さんに昼飯をご馳走になり、お腹いっぱい食べて幸せでした。

社長さんにお礼を言って、会社を後にしました。

そして、5台目の出会いを求めてヒッチハイクスタート。


意外と早く5台目に乗り込む事が出来たと記憶しております。



5台目の方は、初の女性(おばさま)ドライバー一人・・・。

京都まで友達と遊ぶために車を走らせていたようです。


今考えると、どこの誰かも解らん男を、良く一人で乗せたもんだ! と思う。


その方、中々の強烈キャラだったので強く記憶に残っております。


僕を拾うなり、「お兄さん!ちょうど良かった! 私眠いから運転して!」・・・。

意味が解らん。

どんな奴かもわからない人を拾って、自分の車を運転して! なんて

僕には言えません。


4台目の親切な社長さんが言われた、「俺みたいな、人間もいる!」 って言葉。。。

このおばさまみたいな人もいるんですね・・・・。


それでも拾って頂けた事は有難い事、言われるがままに、僕がハンドルを握り、

京都へ向かいました。


以前の日記でも書きましたが、ベトベトする感じが嫌いな僕。

おばさまの車のハンドルは、ハンドクリームのせいか、ベトベトで何とも言えない不快感。

ハンドルを指先でつまんで運転していたのは言うまでもありません。


そして、バックシートに鎮座したおばさまは、良くしゃべる!


ふと、バックミラーに目をやると、ふんぞり返って喋ってる。(トドみたいに・・・笑)


一向に、話が途切れません。。。。  確か、眠たいから運転して! て 言ったよな。

と、思っていても口にできなかったと思います。


そんな事を思いつつ運転していると、携帯だったか、公衆電話に駆け込んだかは

憶えておりませんが、友達に連絡して、予定がキャンセルになった言われました。


直後、そのおばさまが、「私、暇だから、鈴鹿まで行ってもいいよ♡」





この環境、この状況 無理 無理 無理。

(その時のヒッチハイク最大に居心地の悪い車内でした)






丁重に、お断りした覚えがあります。



そして、何とか無理やり理由を付けて京都のどこかで降ろしてもらう事が出来ました。

つづく。
2014年04月18日
ヒッチハイク中休み。

意外と昔を思い出して事実を書くのって頭を使うし、難しい
読んで下さる方もそろそろ飽きる頃ですかね?

話盛って良ければ、なんぼでも盛って書けるので楽でいいけどね。


正直、昔の出来事を書くのも飽きました。 



が、鈴鹿到着するまで書きますよ!





仕事でコピーを扱う方、沢山いると思います。

コピーするときのリズムって、機種やメーカーによって音違います。

私、以前はコピー機を作る会社で働いておりましたので敏感です。


コピー機3台でここまで遊べたら面白い。



色んな意味で、あなたの会社のリズムはどんな感じでしょうか?

コピしながら音をはめ込んだら違う感覚かも。


結果出せるのなら楽しく仕事できるように考えた方が幸せですね。

2014年04月15日
大分の親切なご家族に降ろしてもらった場所は、いつものように

何処なのか解らない場所だけど、大阪の大通りの道。 


ヒッチハイクは、自分の都合は関係ありません!



だけど、やっぱり気遣いしてくれての、交通量や人の多い所だったと思います。
(次に拾って貰う為には欠かせないポイント)


記憶が確かならば、多分、車から降ろしてもらった時間帯は朝の出勤時間帯で、

車も人も忙しく動いている頃でした。

そんな状況で4台目を狙って、画用紙に松原方面と書いて歩道からヒッチハイク再開。
(大阪の人なら松原方面と書いたら解ると思って・・・)


そんな僕を、スーツを着た人と、車が大勢素通りしていく。

都会の人は人ごみに慣れていらっしゃるかもしれませんが、人口6千人程の島育ちには

拷問に近い状況。 


しかし、鈴鹿にたどり着かないといけません。


大阪の人って温かくて、ノリが良い人多いですね!

松原方面と書いた画用紙を見た通りすがりの車の方々が、度々、親指立て
後ろを指さすんです!


思わず、応援してくれている! と思ったら、勘違い。。。




僕が立っている場所が逆車線だったから。


親指を立てて、後ろを指した方々は同じ車が多数でした。

わざわざ同じ道をくるくる回って教えてくれてたんです。



そんな状況で、緊張のせいか突然お腹の調子が・・・。

このくだりは、長くなるでやめます。(きっといつの日か書きます)



遅いけど逆方向だと気付いたときに、反対車線に渡って、気を取り直して

ヒッチハイク再開。


大阪の見知らぬ方々のお蔭さまで、4台目の方に乗せて頂きました。


その方は、奈良で事業を営む社長さん。

当時は今ほど携帯電話が普及していない時代でした。(まるで大昔みたい)


僕を拾った後、自動車電話で従業員の方に、

「今から帰るから、昼飯2人分用意しておけ!」

以上。


そして、奈良県のどこだか解らない場所にたどりついた会社は、決して大きな
会社と呼べる会社ではありませんでした。


自分から発することはできませんが腹が空いてました。

幸運にもわざわざ用意して頂いたご飯を頂き

(生姜焼きでした)美味しかったし、嬉しかった。


その社長さんの言葉は、今でもはっきり覚えてます。


「俺みたいな、人間もいる!」


その当時は、何も解らなかったですが、

当時の状況で(しかも仕事中)拾う価値の無い自分を拾って、空腹のときに飯を頂いた

御恩は忘れません。


社名も住所も教えてくれない社長様。ありがとうございました!

何かのご縁でこの日記を見て頂けていれば嬉しいです。

感謝。

つづく    のかい?

2014年04月10日
大宰府IC近くのコンビニで、車内に置き忘れたスケッチブックの代わりに、

画用紙を買いました。(なんで画用紙を買ったのか、今でも疑問)


そして、再び大宰府ICの入り口でヒッチハイク再開!


数時間は突っ立ていたと思います。(とにかく寒かった!)

なかなか拾って貰えなかったのですが、勢いよくGTOが目の前に停車してくれました。


が、大阪方面に行きたいと伝えたら、逆方向だからごめんね! と 


心地よい音を響かせながら、また勢いよく走り去っていきました。


その走り去っていく時のアクセルの踏みっぷりは激しくて・・・
(内心、逆方向で良かった!と思うほどでした)

そうこうしていたら、ハイエースが僕の前を走り去った直後に停まってくれました。

これは! と思い、近づいていくと、大分から大阪に行く途中の家族連れの方でした。

運良く大阪まで乗せてもらう事が出来ました。


2台目の方の予想的中で、長距離移動!


お父さんとお母さんと、息子、娘の4人家族で、今から大阪にいるもう一人いる息子の

ラグビーだったかサッカーだったか覚えてないけど、試合観戦に行く途中でした。


本当に、絵にかいたような温かい家族でした。

安心したのか、僕は、車の中で、よだれ垂らしながら寝てしまいました。


面白かったエピソードは、お父さんが大阪に行く前に、どうしても姫路城に行きたい!

と、家族にお願いしていて、みんな嫌そうにしてましたが、あまりにもしつこく行きたい!

と、お父さんがせがむので、息子が、

「お父さんもしかして、姫路城に昔の彼女とかの想い出とかあるの?」

と言われ、お父さんが否定もせず、黙り込んだのは面白かったです。
(奥さんはどんな心境だったんだろう・・・)


そして、気が付けば、なぜだか私も家族の方々と一緒に、夜明けの姫路城を

歩いておりました。

朝日でピンク色に染まった姫路城の色が目に焼き付いております。


ほんとに温かいご家族で、お腹空いてない?と食べ物頂いたり、色々と感謝でした。 

大分の 大〇さんご家族。


お陰様で福岡から、一気に大阪まで来ることが出来ました。

大阪まで来たら、鈴鹿まであと少しですが・・・・。

つづく



心に残っている事は、頭で覚えた(暗記)ことではないので、20年弱前の事でも

す~っと、情景が蘇るので不思議です。
2014年04月05日
福岡までマージャンをしに行く途中で拾ってもらったおじさまに

降ろしてもらった場所は、どこだかさっぱり見当もつかない場所で、


そこから2回目のヒッチハイクとなりました。


どれくらい突っ立ていたかは覚えてませんが、2台目の車に乗る事が出来ました。

2台目の出会いは、建築関係の社長さんだったと思う。 

(昔過ぎて記憶が曖昧なので、うろ覚えの部分はだったと思うって表現です)

座席には、その他、若い衆と思われるガテン系の若者二人。

ちょっとヤバイ感じ! と思ったのは覚えてる。


しかし、1台目で乗せて頂いた方に、ウソを付いたことに後悔していて、

2台目からは、1万ちょっとは所持金ありますが・・・。 って正直に言いました。


所持金全部取られてもいいや~ぐらいの気持ちで!


ヤバイ! と思った車内での雰囲気は全く違う空間で、その建築関係の社長

と思しき方が、懇々と若い衆2人にお説教をしていたことを覚えてます。 

内容は覚えてない・・・。



昔っからウソが下手だし、一回のウソを正当化するのにウソの繰り返しするのが

疲れるんです。 



会話の内容は覚えてませんが、(いつもの事) 大宰府ICで降ろしてもらいました。

大宰府インターで降りた事は、はっきり覚えてる。


なぜかと言うと、ほんまに親切な方で、ICの方が長距離の人に乗せてもらえるかも!

ってわざわざそこで降ろしてもらったのです!



なのに、大事な、ヒッチハイクのお供、スケッチブックを車に置き忘れた・・・。


せっかくの好意を台無しにして、ICから深夜の太宰周辺をとぼとぼ歩いて

コンビニを探しました。

つづく
2014年04月02日
熱気球の大会途中でしたが、チームの方々に

適当な道路に降ろしてもらい、人生初のヒッチハイクが始まりました。


親指立て、佐賀県なのに、名古屋方面乗せて下さい。(今考えるとバカ丸出し!)


なんて、紙に書いてしばらく立ってたら、意外と早く車に乗ることが出来ました。

多分、10分~20分ぐらいだったと思います。



車に乗せて下さった方は、私の推測では50歳代のおじさまで、

今から、福岡県のとある場所までマージャンをしに行く途中だったようです。

車内での会話は、ほぼ覚えておりません。


ただ、僕がウソを付いた事は、はっきり覚えております。


人生初のヒッチハイク、 世間知らずの若造でしたが、不安もありました。


お金が無いから、乗せてくれ! 

みたいな感じでおじさまの車に乗せてもらいました。


しかし、実際は、靴下の中に、1万円少々を隠しておりました。
(これがその時のすべての所持金でしたが・・・)

1万円あったら、普通電車とバス乗り継いだら多分帰れる金額・・・かも う~ん解らん。

どのみち離島育ちの僕は、当時、電車もバスも乗り方が解りませんでしたけどね。。。


どれくらい車に乗っていたかは覚えておりませんが、福岡県のどっかに

降ろしてもらい、次のヒッチハイクが始まりました。


つづく


後で、聞いた話なのですが、送ってもらったチームの方々は、僕を降ろした後、

ほんとに、拾って貰えるのか心配だったそうで、車に拾って貰えるまで

遠くでそ~っと隠れて僕の事を観察!?していたそうです。

(次の日も大会あるのに、余裕なのか、心配だったのか・・・ とにかく有難いチームです。)

当時の PJM  バルーンカンパニー 日本初バルーン世界チャンピョン


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