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ホームやどかり日記1999年12月5日 NGK杯 鈴鹿サンデーロードレース のお話
やどかり日記
1999年12月5日 NGK杯 鈴鹿サンデーロードレース のお話
2019年12月05日
書いて良いのか迷いましたが・・・


あれから20年

この日は、いろんな意味で僕にとって忘れられない日となりました

その頃自分は、バイクのレースやっていて、1999年 鈴鹿地方選手権最終戦の日でした

レースを始めて8年間もの長い間、ず~っと国内ライセンス止まり・・・

1999年はSP250ってカテゴリーで鈴鹿地方選手権に参戦しておりました

当時、国内のMFJの2輪レースは、国際と国内の2種類ライセンスがありましたが

今はどうなってるか知らん。



万年ノービスなんて馬鹿にされながらも地道に気張りました!

80年代に揉まれた先輩方にかなり鍛えられました!


そんな自分が、その数年前からやっと予選通過できるようになり、気付けば徐々にポイント圏内で
(1位から15位までポイントあり、年間累積のポイント数で規定以上なら国際ライセンスに昇格権利)

走れるようになり国際ライセンス取得の権利が得られそうだったので、2000年シーズンから

国際ライセンスに昇格予定で、国内ライセンス最後のレースでした。


そんな最終戦。18歳からレースを始めたセンスのない僕を、ずーっと諦めずに面倒見てくれた


チームのオヤジ! Motostep監督が、 お前~

SP250最後のレースだからチームサポート枠で、このレースにタイヤ3セットをサポートしたる! 



と 何とも本当にありがたいお言葉!!!



こんな好待遇! 何かしら結果と爪痕を残さなければ~ と奮起しました




気温変化はあるものの、幸運にも3日間DRYコンディションで、練習走行から贅沢にも

新品タイヤ投入、路面温度と相談しながら1週目から猛プッシュして、1週目からベストに近い

タイムを刻む練習が出来ました 


予選は2列目ゲット!(#34)





僕にはバイクを速く走らせるセンスが無いのですが、所詮アマチュアレース。

当時の僕のライバル達は、1週ラップタイムは早いのにトータルのレースタイムを上げる為に重要な、

スタート~1週目が遅すぎる!


そこに着目していた自分は、練習/予選からタイヤサポートの威力を発揮して、2列目からスタートダッシュ




この後、人生初のホールショットを決めました(証拠写真がありませんけど・・・)




そんな舞い上がる状況でも、頭は冷静で、意図的にワイドオープンで一週目のS字一発目を切り返してみて、

タイヤが滑らないか? サスセットは? タイヤの温まり具合を確認 足回りも~いい感じ!


そのままの勢いでデグナー2発目をジャックナイフしながら進入。。。

バランス崩して、立ち上がり失敗!それでもTOPをキープ出来ていたし、立ち上がり失敗していて

速度落として抜かれたくない一心で、今まで一度もできなかった110Rアクセル全開進入チャレンジ!
(いつもは5分の1程一瞬アクセル戻して倒し込みのタイミング作ってました)

そしたら見事にフロントタイヤ切れ込んで、クラッシュ寸前(ガードレールが視界に入る)

それでも転倒せずに立て直しセーフ。。。 そこで集中力が途切れました・・・(短か!)



その後、恒例の驚異的なおい下げで順位を落としました





3週目ぐらいだったでしょうか・・・ ヘアピン立ち上がって200Rに差し掛かった時に、イエローフラッグとオイル旗。

路面には石灰を撒いた跡の白い筋と、外側には救急車と、うなだれるライダーの姿。


そんな光景を見ても自分はレース真っ最中、主催者の提示する旗とチームのピットサインを目安に

必死でゴールを目指し、無事チェッカーを受けました。





その時のレース後、チームメイトが泣きながら近寄って来て、Y君が死んだ。 ???



その時は冗談だと思いました。



根っからの平和主義の私、しかし、レースは別物、チーム関係以外の人とは出来るだけ距離を置き、

敬意を払いつつ、立ち話とバカ話程度で済ませて、よほど気が合う人以外、深くは仲良くしてませんでした

仲良くしてしまうと、レース中のバトルで隙がでるのが怖かった。



さっきまで、お隣さんのピットどうしで冗談交じりに金網越しに会話してたのに・・・


救急搬送された病院に行きました、面会しました、目を閉じたままでした。




両親が着の身着のまま病院に駆けつけ、病院の自動ドアが開きました


その時の光景が目に焼き付いてます





ライバルチームだったので、ほんの数か月前まで、Y君とはあまり親しくしてませんでしたが、

数か月前のレース後、MOTOSTEP恒例だった、怪我無く無事にレースを終えた感謝の宴(仮名) 

に参加してくれました


養老の滝から、2次回はカラオケ、3次回は、1K6畳一間の狭い僕のアパートに7、8人ほどがご来店

通称スナック市と呼ばれてました。



そこで初めて打ち解けレース以外の事も色々と話をしました  



1998年 1年前のレース後の写真  #44 僕   #19 Y君はそっぽ向いてますw
(1年前はそんな間柄)




数年間同じレースで何度も顔合わせているのに、まともに会話したのは ほんのわずか。。。



ピットで流れていたケミカルブラザーズ  Y君のお気に入り



人の運命は制御不能なのかな???


あれから20年 

忘れられない日でした。
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