やどかり日記
あの頃。。。沖縄ツーリング1
2012年02月17日
高校2年の春に、沖縄ツーリングに出かけました。
高校生の身分で沖縄ツーリングなんて羨ましいと思うかもしれませんが、
与論島から那覇まで、フェリーで約4時間と大変近いです。
交通費、宿泊費も、高校生のバイトレベルで何とかできました。
自分のやりたい事は親に一銭も頼らないのがポリシーです。
はじめは友達と3人で行こうと計画してましたが、友達2人は親の反対で結局
バイクで乗り込んだのは僕一人でした。(心細かった・・・。)
離島のド田舎以外の人は免許あるのに反対される理由が解らないと思いますが、
反対される理由は与論島の事情です。
① 島に信号機が1機しかありません。
② その信号機も真夜中は点滅ではなく完全に消えます。(信号機の意味が・・・。)
③ 渋滞も皆無です。(片側2車線なんて知りません)
④ とにかく無知!
のんびりした島から、いきなり那覇の国道58号線を走るのが大変危険だといゆうのは
走り始めてすぐに思い知らされました。
那覇港近くの宿から58号線を北上して辺戸岬まで行って、与論島を眺めて
那覇に折り返すルートを計画しました。
当日はあいにくの雨(やっぱり俺は雨男か・・・。)で、友達二人に見送られ
一人寂しく、R58を北上しました。
はじめて走る国道はおっかなびっくりでしたが、当時は怖いもの知らずで無知な僕は
R58をちょこっと走って田舎者でもいけるやん!と勘違いして、渋滞のすり抜けなんて
したことないのに、原付で調子こいて3車線の真ん中をバンバンすり抜けしてました。
そして、今思えば案の定ですが、渋滞で止まっている車にひじがヒットしました。
そこで、謝るのが普通ですが、ビビッて、逃げました。
(たぶん、ミラーは壊れてはいなかったと思います)
今更遅いですがその車の人ごめんなさい。。。誰かもわかりません。
その瞬間、親が反対する理由が身に染みてわかりました。
でも、自分の両親は内心すごい心配しながらもツーリングに行かせてくれたことに
ものすごく感謝したのも記憶にあります。
高校生の身分で沖縄ツーリングなんて羨ましいと思うかもしれませんが、
与論島から那覇まで、フェリーで約4時間と大変近いです。
交通費、宿泊費も、高校生のバイトレベルで何とかできました。
自分のやりたい事は親に一銭も頼らないのがポリシーです。
はじめは友達と3人で行こうと計画してましたが、友達2人は親の反対で結局
バイクで乗り込んだのは僕一人でした。(心細かった・・・。)
離島のド田舎以外の人は免許あるのに反対される理由が解らないと思いますが、
反対される理由は与論島の事情です。
① 島に信号機が1機しかありません。
② その信号機も真夜中は点滅ではなく完全に消えます。(信号機の意味が・・・。)
③ 渋滞も皆無です。(片側2車線なんて知りません)
④ とにかく無知!
のんびりした島から、いきなり那覇の国道58号線を走るのが大変危険だといゆうのは
走り始めてすぐに思い知らされました。
那覇港近くの宿から58号線を北上して辺戸岬まで行って、与論島を眺めて
那覇に折り返すルートを計画しました。
当日はあいにくの雨(やっぱり俺は雨男か・・・。)で、友達二人に見送られ
一人寂しく、R58を北上しました。
はじめて走る国道はおっかなびっくりでしたが、当時は怖いもの知らずで無知な僕は
R58をちょこっと走って田舎者でもいけるやん!と勘違いして、渋滞のすり抜けなんて
したことないのに、原付で調子こいて3車線の真ん中をバンバンすり抜けしてました。
そして、今思えば案の定ですが、渋滞で止まっている車にひじがヒットしました。
そこで、謝るのが普通ですが、ビビッて、逃げました。
(たぶん、ミラーは壊れてはいなかったと思います)
今更遅いですがその車の人ごめんなさい。。。誰かもわかりません。
その瞬間、親が反対する理由が身に染みてわかりました。
でも、自分の両親は内心すごい心配しながらもツーリングに行かせてくれたことに
ものすごく感謝したのも記憶にあります。